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ロイド・フォージャーは多忙な中、情報屋フランキーの店を訪れた。病院の中にあるタバコ屋のカウンター奥にいる、くるくると巻いた黒髪に黒縁眼鏡の男がフランキーだ。
「フランキー、ツナヨシ・サワダという人物について調べて欲しい」
「あんたの依頼は最近、面倒なことが多いからなぁ」
フランキーは嫌な顔をして文句を言いながら、ロイドの手渡した小さなメモを受け取った。
「それで、そいつがどうかしたのか?」
「管理官の指示でアーニャに家庭教師を雇うことになった。殺し屋リボーンからの紹介で管理官の目も通っているから問題ないとは思うんだが、詳しい経歴が一切不明でな。調べるなとも言われてないから、調べて欲しい」
「殺し屋リボーンって言やあ、超有名どころじゃねーか。それこそが問題のない証だろ?」
「そう、なんだが。なにか引っ掛かる……」
「引っ掛かるねえ……」
フランキー自身はツナヨシ・サワダに会ったことがないため、なんとも言えない。ただ、その名前に聞き覚えがあるような気はして、ロイドの気持ちが全く分からない訳ではなかった。

「こんにちはー!」
夕方、ツナヨシはフォージャー家を訪れた。目的は学生家庭教師としてアーニャに勉強を教えるためだ。アーニャの通うイーデン校の生徒に扮するため、夕方の時間帯を選んだ。
隣近所から漂う美味しそうな夕食の匂いにツナヨシのお腹がきゅるっと音を立てる。どれだけお腹が空いていようとヨルさんの作ったものは食べないぞとツナヨシが決意を新たにしていると、フォージャー家の玄関が開いた。
「こんにちは。ツナさん」
扉を開けたのはヨルだ。仕事終わりだったのか、長く豊かな黒髪を頭部でまとめている。
「ヨルさんお仕事お疲れ様です」
穏やかに微笑んでいたヨルの顔が一瞬だけキョトンとしたかと思えば、すぐに元の穏やかで優しい顔に戻り、コロコロと笑った。
「ツナさんも学校終わりでお疲れでしょう。中へどうぞ。冷たいミルクをお出ししますね」
ツナヨシはヨルに促され、家の中へと入る。廊下で当たり障りない世間話をしながらリビングへと足を踏み入れる。アーニャは自室にいるようでリビングにはいないが、代わりに見覚えのある少年の姿があった。
ふわふわと巻いた黒髪のくせ毛の上には小さな角が二本出ている。牛柄のカッターシャツの上には黒のジャケットを着用し、タレ目の甘いマスクに女性の目は釘付けだろう。
「ランボ! お前どうしてここに!」
「おや、ボンゴレじゃないですか」
ボンゴレファミリー雷の守護者ランボはフォージャー家のリビングで呑気にミルクを飲んでいた。
「買い物帰りで大荷物を抱えている彼女に店先でお会いしまして、荷物運びを申し出たところ、お礼としてミルクを頂いているわけです」
丁寧にこの家にいる理由だけを説明したランボにツナヨシは歯がゆい思いをしながらも、そうだったのかーと適当な相槌を打った。
どうしてこの国にいるんだなんて、ロイドの前ならともかく、ヨルの前では絶対に言えない。
「ぼんごれ……?」
ツナヨシの本名と全く被らないあだ名らしき、聞き慣れない言葉を前にヨルが首を傾げる。
「お、俺のあだ名なんですよ! 実家が大きくて、そこからとったあだ名みたいで……!」
慌ててツナヨシが苦しい言い訳を被せる。全くの嘘ではないが、真実には足りない。
「お二人はあだ名で呼べるくらいのお友達なんですね! 素敵です」
ニコニコと笑顔なヨルにツナヨシは引きつった愛想笑いで返した。
イーデン校の学生だと身分を偽っているツナヨシとランボのことを同じ年の学生の友人だとヨルは誤解しているようだ。学生という設定でフォージャー家に出入りするのは少しのショックで済んだが、流石に子供の頃から知った十も年の離れたランボと同じ年だと思われるのは、より具体的にツナヨシに精神的ダメージを負わせた。
ヨルの言葉に驚いたランボはミルクの入ったグラスを傾けながら、どうしたらいいんですかボンゴレ〜〜と泣きつくような視線をツナヨシへと投げる。
ええい! どうにかしろ、ボンゴレ十代目! 呑気なことをしていると学生時代よろしく、元家庭教師に全裸にされてしまうぞ。
ツナヨシは奮起し、なんとかヨルへの言い訳をしようと口を開く。
「えーっとアーニャちゃんはお部屋ですか……?」
ツナヨシは特に上手い言い訳も思いつかず、同意も否定もしないまま、話を変えた。
「はい! ツナさんが来ると聞いて、張り切っていましたよ」
「ありがとうございます。ちょっとランボお借りしますね」
ヨルの言葉を聞き終わると、ツナヨシはランボの腕を引っ付かみアーニャの部屋へと向かう。アーニャの部屋をノックするだけの理性がツナヨシには残っていたが、ランボとアーニャの返事を聞かずに部屋へと入室する様は逃げるようだった。
「アーニャちゃんごめんね。急に部屋に入ったりして」
部屋の奥、アーニャは学習机に向かっていた。部屋の入口からは背中しか見えないため、ツナヨシは声をかけながら手元を覗き込んだ。
先程までは素直に問題を解いていたのであろう、テスト用紙だが、隅に落書きが多数描かれている。潮をふく魚らしき物を見るにクジラだろうか。
「へえ、案外上手じゃないですか」
感心したような声はランボだ。
ランボの声にアーニャはゆっくりと顔を上げる。絡まった視線にツナヨシは微笑みで返した。
「じゃあこっちはシャチ、かな?」
「ペンギン……」
「白黒の海洋生物しか合ってないよ!」
ランボの言葉にアーニャはジトリとした視線を向け、ランボの背に冷や汗が流れた。
「こっちは犬さんかな?」
白い四足歩行の動物を示すランボの視線に、アーニャは変わらずじとーっとした目を向ける。
「シロクマ……」
フォージャー家は白い大きな犬を飼っている。そのペットのボンドを描いたのではないかとランボは推理したのだろうが、水族館で見た動物という括りだろう。
ボフン。
ツナヨシの横、具体的にいえばランボがいた場所が唐突に煙に巻かれる。このタイミングだったか、とツナヨシは思わず頭を抱えた。
ゆっくりと煙が晴れていく。そこにはタレ目の甘いマスクの少年はもういない。牛柄のシャツを着た泣き虫の小さな少年がいるだけだ。
少年はグズグズと涙と鼻水で顔はドロドロだ。どうにか泣きやもうと目元を擦り続けている。
「ガマン、したんだもんね……!」
「お前なぁ、我慢できてたらこっち来ないだろう……」
ツナヨシは牛柄の少年を抱き上げた。十歳にも満たない、小さな体で少年が必死に頑張っていることをツナヨシは知っている。
「ほら、ランボもう泣きやめって」
ツナヨシは鞄からハンカチを取り出して、牛柄の少年——10年前のランボの鼻をかんでやる。遠慮なく鼻をかまれ、鼻水で塗れたハンカチをツナヨシは嫌な顔をしながら鞄にしまった。
「あー! ヘンテコな絵!」
抱き上げたランボがツナヨシの肩越しにアーニャの絵を指さして笑う。
ランボの一連の流れを目を皿のように呆けて見ていたアーニャだったが、自分の絵をバカにされたと気がつくと眉をつり上げて怒った。
「ヘンテコ違う!」
売り言葉に買い言葉。ランボも五歳児から少しは成長したとはいえ、あの大人びて見えていた十五歳の少年には程遠い。まだまだ幼い。
五歳のアーニャを相手にそんなに喧嘩腰にならなくても、とツナヨシは二人をなだめたが、二人のお絵描き勝負の審査員を務めることになった。
幼いランボの子守りも残り数分だ。それくらいならば、少々のやんちゃにも目をつぶろう。
一生懸命描いた絵をランボとアーニャは同時にツナヨシに見せた。
アーニャの絵は白と黒の縦縞で四足歩行の何か。
「シマウマ?」
「フンっ」
ツナヨシの解答にアーニャは勝ち誇ったようにランボを鼻で笑った。これはお互い様の似た者なのでは?
アーニャに張り合うようにランボが大声でツナヨシを呼ぶ。
「ツナ! ツーナー! こっちは!?」
ランボの掲げる紙には緑の平たい四足歩行の何か。頭部には大きなギョロリとした目があり、しっぽらしきものがグルリと巻いている。
「カメレオン、レオンかな?」
「あったりー!」
嬉しそうにはしゃぐランボにツナヨシは胸をなでおろした。よく目にしている動物だから案外上手に描けているが、カエルと答えなくて本当に良かった。
はしゃぐランボとは対象的にアーニャの顔は不機嫌そうだ。大きな目を細めてジトリとした眼差しでランボの絵を見ている。
「よーし! 二回戦いくぞー!」
「まだやるのかよ!?」
ウキウキしだしたランボにツナヨシが突っ込んだその時、ボフンと音をたてて煙が舞う。
牛柄のシャツの少年のかわりに甘いマスクの少年が現れた。
「ボンゴレ、子供の頃の俺が迷惑かけてすみません」
「いいよ。もう十年以上の付き合いなんだし慣れたから。それに、小さいランボもかわいいし」
「よしてくださいよ! ボンゴレ!」
穏やかに微笑むツナヨシに恥ずかしそうなランボが声を上げる。
つんつん。ツナヨシは袖口を引っ張られ、視線を向ければアーニャが目を丸くしてツナヨシを見ている。
「かてきょー、牛どこ……?」
牛というのは子供の頃のランボを指しているようだ。アーニャはキョロキョロと彼を探している。
どこと聞かれたとて、ここにいるとは言えない。
ちらりとランボを窺えば、ボンゴレお願いします! と全投げだ。
「さっきの子は突然現れて遊び相手を探す妖精さんなんだ。あいつの方が大きいけど、見かけたらさっきみたいに遊んであげてくれるかな?」
「ボンゴレ……」
妖精はさすがにない。あんまりだ。
ランボの悲しげな声がツナヨシに刺さる。
「アーニャ、むっつだからまかせろ!」
フフンと胸を張るアーニャにツナヨシは胸をなでおろした。
「じゃあアーニャちゃん、今日もご飯の前に一緒にお勉強しよう」
ツナヨシは気を取り直して、本来の目的を遂行する。
「ボンゴレ、なら俺は戻りますね」
「うん。また後でね」
勉強道具を取り出したツナヨシにランボは声をかける。ツナヨシも笑顔で返事をしたが、含みがあったようで、ランボの顔は少々引きつっていた。