「やり直しの二十日間」サンプル

一月初旬の寒空の下、バイト終わりの俺は空を見上げながら歩いていた。きらきらと輝く星と街を照らす月は冬の空だからか、どこか遠い。そっと手を伸ばしてみるが届くわけもなかった。手袋、ネッグウォーマー、冬用コートとそれなりに防寒はしているつもりだけれどもやっぱり寒い。手を擦り合わせたり、息を吐きかけたりしながら寒さを紛らわそうとするがちっともマシにならない。こんなことならホットの缶コーヒーをお供にすればよかった。
黙々と歩いていると、明かりのついていない我が家へ帰ってきた。築数十年のボロアパートが今住んでいる場所だ。高校のころに住んでいた特別寮とは比べられないほど貧相だ。酒癖から持ち直した親父とフリーターの俺が住むにはちょうどいいのかもしれない。ここは本当に寝るだけに帰ってきているようなものだから。
踏むとカタッとなる鉄板の階段を上がり、鍵を開けて部屋へと滑り込む。そろそろ十二時になるような時間だ。良い子は寝てしまっている。なるべく静かにしなければ。部屋に入るとすぐに鍵を閉めた。親父は今日、帰ってこないらしい。
玄関口で靴を脱いでいると奥で物音がした。ガタッと大きな音だ。何かが家具かなんかにぶつかったような、そんな音。ここには俺と親父しか住んでいない。母さんは酒癖の悪い親父を見かねて子供のころに出て行ってしまった。ということは、泥棒か人間じゃないものかどっちかだ。幽霊か何かか?伊織順平アワードのネタ発見?
玄関に立てかけてある愛用のバットを握り、息を殺して様子をみた。ピンッと張りつめた空気はあの認知されざる時間のことを思い出させた。子供だった俺は自分より優れた人を認められなかった。劣等感の塊だった自分。とても幼く、子供だった。少しは大人になれた自分なら、あいつと親友になれるだろうか。
玄関から廊下でつながるリビング、そこから足音が聞こえた。ペタペタという足音はゆっくりとこちらに向かってくる。
ペタペタペタ。暗闇の中から紺色の靴下が見えた。
ペタペタペタ。黒いスラックスが見えた。
ペタペタペタ。俺の母校の月光館学園のブレザーが見えた。
ペタペタペタ。俺が1年間だけ所属していた部活動の赤い腕章が見えた。
ペタペタペタ。あいつの首にかかっている古い音楽プレイヤーが見えた。
ペタペタペタ。珍しい青みを帯びた髪が右目を隠しているあいつの顔が見えた。
久しぶりに見たあいつの顔はいつかのようにうっすらと笑っていた。
「おかえりなさい」
親友になりたかったあいつは何食わぬ顔で、こちらの悲しみなんてなかったことにして、あの時と変わらぬ姿で俺の前に現れた。
「ただいま」
実感がわかず、どこかふわふわとしたまま俺はぽつりと答えた。驚きすぎてなにがなにやらわからない。
「順平は俺に、おかえりなさいって言ってくれないの?」
黄色のマフラーを愛用していた友達のように無邪気にあいつは聞いてくる。首をかしげて子供のように。
「おかえり、なさい……」
あいつに言われるがままおかえりなさいと口にした。
「ただいま」
あいつは見惚れるほど綺麗に微笑んだ。いつかのような儚げで悲しそうで、それでいて幸せそうだったあの微笑みとは違う。あの一年の後半に見せた人間らしい温かみのある笑いだった。
「順平、とりあえず上がったら?お茶でも出すよ」
彼は俺に一方的にそう言うとリビングのほうに歩いて行った。自分勝手なフリーダムさはこうして久しぶりに会えたというのに変わらない。ていうかそれ俺のセリフだっての。

順平のアパートに居候して早一週間が過ぎた。
今日は一月十六日。ユニバースを使った俺にもはや知らないことはない。
明かりの灯った順平の部屋で俺は順平の帰りを待っていた。居間にあるこたつの上に並べた料理とケーキを見て順平は驚いてくれるだろうか。
カタカタと古びた鉄板を踏む音が聞こえる。現在時刻は午後十時三十分ごろ。十時にバイトが終わった順平の足音だろうと見当をつけて玄関へ移動する。
俺が玄関にたどり着き、手に持ったものを構えたところでドアノブが回った。タイミングはバッチリ。思わずニヤリと笑ってしまう。
扉が開き、体を滑り込ませる順平に向かって、俺は手に持っていたクラッカーの糸を引いた。
パァン!!
夜中の静かなアパートにクラッカーの音が響く。小さな発火により、飛び散る色とりどりの紙切れがひらひらと順平のまわりを舞う。
「誕生日おめでとう!」