青薔薇

アイツが“死んで”から2年がたった。
世界は相変わらず存在していて、今年もまた桜が舞っている。
順平は勿忘草とブルースターの花束を持って高台を訪れていた。
その花は彼が生前愛していた花。花言葉は勿忘草が「私を忘れないで」「真実の友情」「誠の愛」。ブルースターが「信じ合う心」。
高台は生前の彼がよく訪れていた場所だ。
高台からは桐条グループの作った学園都市、辰巳ポートアイランドが見渡せる。
高台には大きな柿の木と綺麗な青のバラが植えられている。
青のバラは順平が彼は“死んだ”のだと納得するために植えたものだ。
順平も本当なら彼の墓へ参りたい。だが、彼の遺体は桐条が持っているため、彼の墓は存在しない。作らせてもらえなかった。
美鶴もゆかりも、「彼は帰ってくる」と言い続けている。
遺体は腐らせないように桐条グループが総力をもって保存しているのだ。
美鶴とゆかりは高台には来ない。
桐条の保管している彼の死体に手を合わせている。
昭彦と乾は高台にも彼の遺体のところにも行かなかった。「もう、振り返らない」と決意したから。彼の守った世界を精一杯生きるために。
アイギスコロマルはたまに高台に来ている。
今までのことを彼に報告するためだ。
順平が今回来た時も青のバラの前にはネリネの花束と犬のおやつが手向けられていた。
「よぅ、久しぶりだな。最近やっとまた、お前の守ってくれた世界も悪くないって思えるようになったんだ。」
順平は勿忘草とブルースターの花束を青のバラの前に手向けると、ゆっくりと腰をおろした。
ポツポツと順平はこの1ヶ月あったことを話す。
大学でのことや、バイトのこと、最近のS.E.E.Sメンバーのことを。
「この間、始めてチドリの墓に行ったんだ。風花や桐条さんに場所を聞いてさ。チドリの本名、吉野千鳥っていうんだ。お前やチドリの生きたかったこの世界だ。もう少し生きてみようと思うんだ。」
順平はゆっくりと笑った。順平のトレードマークのキャップは今でも健在だ。
風が吹き、桜の花びらは風に乗りふわふわと舞っている。それに合わせるように柿の木がザワザワと音をたてる。順平の肩には彼の遺したヘッドフォンが揺れている。
「順平さん、ここにいましたか」
よく透き通った青年の声が後ろから風に乗って順平の元へ運ばれて来た。
順平はこの気配に覚えがあった。
“死んだ”はずの彼の気配。彼の遺体はこの目で確認したし、この手で脈もとった。この手で心臓マッサージもしたし、人口呼吸もした。
なのに!どうして!?
順平は驚きと混乱で頭が一杯になりながら、勢いよく振り返った。
右目を隠すように分けられた前髪。群青色の特徴的な髪はさらさらと風に揺れている。
それに合わせるように肩のヘッドフォンも揺れている。
「湊……?」
それは順平の淡い希望の見せた錯覚だった。
「どうしたんですか?順平さん」
そこに立っていたのは、少し成長し、大人びた後輩。月森孝介だった。
2年前は彼も月光館学園の中等部に通い、順平と1つ屋根の下で生活していた。
中でも、この2人は仲が良かった。初等部のケンとも、高等部とも年の離れている孝介を気にかけていたからだ。ことあるごとにちょっかいを出し、からかっていた。孝介はそれをクールにかわしていたのだが。
順平は笑顔の仮面を貼り付けて孝介に接する。弱っている姿を後輩に見せるわけにはいかない。
「おー、久しぶりだな孝介」
孝介はすぐさま、順平が仮面を被ったのに気づいた。
この時の順平の笑顔は、小西早紀を想い、無理をして笑った時の陽介と一緒だからだ。彼も大事な人を亡くしたのだろう。
「大丈夫、ですか?」
失礼だとは思いつつも孝介は順平に聞いた。
が、順平はニコニコと笑い、はぐらかすばかりだ。
きっと後輩の自分が聞いても彼は語らないだろう。と諦め、孝介は自分が高台にやって来た本題を切り出した。
「順平さん、少し相談にのってもらえませんか?」
ーーーーーーー
孝介の相談というのは恋愛相談だった。
自分は相手のこういうところが好きで、愛しているのだと言霊使いの伝達力を使って、孝介は必死に順平に伝える。昨年の1年間を。
もちろん、テレビや、ペルソナのことを除いた真実には足りない事実をだが。
人はこんなにも人を愛せるのだと孝介の話を聞いて順平は感動した。
俺はどれだけの好意を彼に返せたのだろうか。反抗したりとあの時の自分は彼を傷つけてばかりだ。
「それで、告白しようかどうか迷っているんです。離れれば落ち着くかなと思ったんですけど……」
孝介はバツが悪そうにポリポリと頬をかいている。
頬が赤い。これは単純に照れているようだ。
順平自身、恋愛話を聞くのは嫌いではない。ゆかりのように得意ではないが。
ただ、青春のあの1年を戦って過ごした自分に的確なアドバイスができるのだろうか?
周りにいた人間といえば、S.E.E.Sメンバーと、先生に恋してたラーメン馬鹿に、剣道馬鹿。あとは6股節操なし。
碌な恋愛経験を持った人間がいなかった。
そんな自分でも孝介がどれだけ相手を愛しているかはわかる。どれだけ大切なのかも。
「せずに後悔より、やって後悔。だろ?
振られたときは先輩のおれっちが慰めてやるって!」
順平のだした結論はこれだった。
前半の言葉は彼に教わったものだ。
たくさんもらったうちの一つ。
孝介は順平の言葉にクシャリと顔を破綻させた。
「ありがとうございます。あぁ、そうだ。俺はきっとこうやって、誰かに背中を押して欲しかったんだ。」
孝介は大事そうに胸をギュッと押さえた。
「告白するだけ、してみます。振り向いてくれないのなら、振り向かせるだけだ。」
孝介の目は本気だ。口は笑みを描いている。
ペルソナ呼ぶときのあいつとそっくりの顔してら。
順平は懐かしそうに目を細めた。
あいつはもう、いないけれど、こうしてあいつの意思は受け継がれている。
「また今度結果を報告に来ますね。」
銀灰色の後輩はそう言って高台を下りて行った。
“さよなら”も“またね”も言わずに行ってしまった。
そういうところは似なくてもよかったのに。
ザワザワと柿の木が揺れる中、順平は改めて青いバラに向かい合っていた。
「聞いてたと思うけど。孝介、好きなやつができて告白するんだってさ『振り向かないのなら、振り向かせるだけだ』だって。」
順平はお得意の似てないモノマネを披露する。
「ほんと、あいつらしいっていうか。お前みたいだよ。」
孝介とあいつの似ているところを見つける度に、今のように苦しくなるのだろうか。
もういない彼の影を孝介に重ねるのだろうか。
「なんで、なんで、死んだんだよ。お前もチドリもいない世界に、なんの、なんの意味があるってんだ……!
おれは、おまえと一緒に生きていきたかった。」
はらりと順平の頬を雫が伝う。
順平はこの場所に来る度に泣いていた。
彼が亡くなるまで、同じ大学に行って、一緒に卒業して、そうやって生きていけると信じて疑っていなかった。
彼が死ぬなんて思いもしなかった。あんな塔を登っていたのにだ。
ザッザッザッと芝を踏みしめる音がする。
今度は誰がやってきたのだろうか。
「伊織、か?」
順平は声に涙を拭ってから顔だけ振り向いた。
立っていたのは私服姿の友近健二。元クラスメートだ。
「何しにきたんだよ。」
泣いているところを見られたかもしれない。
順平は不機嫌さを隠さずに友近に聞いた。
「これ見てわかんねーのかよ」
友近の手にはマーガレットの花束があった。
順平は友近の意図がわからず、首を傾げる。
友近はわざとらしくため息を吐いてから順平に答えを告げた。
「墓参りだよ。墓参り。」
順平の目は驚きで見開かれる。
誰の。とは声が掠れて聞けなかった。
「あいつ、墓作ってもらえなかったんだろ。山岸さんに聞いた。」
友近は花束を置くと、目をつぶり、手を合わせた。
友近が目を開くまで木々の音だけが響く。
友近はゆっくりと目を開けると、順平をはがくれに誘った。せっかく会ったんだから、と。
順平は少し迷う素ぶりをすると、友近の奢りなら。と半分了承した。
「俺の奢りかよ!?」
順平は友近に反論される前に高台を下りて行った。
友近はポケットから財布を出して確認する。
丁度バイトの給料日後で金は入っていた。
ラーメン一杯ぐらいならいいか。
財布を仕舞い、高台を下りようとする。
(友近、純平をよろしくね。)
聞こえるはずのない声に友近は振り向いた。
青いバラの傍には月光館学園の制服に身を包む一人の生徒が立っていた。
ブレザーの前は開けられているが、ネクタイも中のシャツのボタンもきちんと留められている。
肩にはシルバー色のヘッドフォンがかけられ、揺れている。
群青色の髪は右目を隠すように分けられている。
こんな特徴的な人間、そうそういない。
友近の中には一人しかいなかった。
「湊、か……?」
目の前の人間は微笑んだ。
(順平ってあぁ見えて繊細だから、友近頼んだよ。)
風が吹きすさび、木々が鳴く。
あまりの勢いに友近は目を閉じた。
風が収まり、目を開けるとそこには友近いがい誰もいなかった。
「わかった。わかりました。たくっ…化けて出てくるとかやめろよな。」
友近は了承すると頭をガリガリかきながら高台を下りて行った。
傍には見守るように一匹の青い蝶が飛んでいる。