2

青々と茂る森の中に、古城といっても差支えがないほど大きな洋館があった。
どこまでも吹き抜ける青空と、日差しをキラキラと照り返す湖畔を眺められる執務室が、洋館の主である沢田綱吉はお気に入りだった。
窓辺から覗く景色は穏やかで、綱吉の前に並ぶ書類の束を忘れさせてくれる。
天気もいいし、お昼は外に持ち出してもいいかもしれない。たっぷり具材の挟まれたサンドイッチとカランと氷の鳴るアイスティーで決まりだ。
決済待ちの書類の束という現実から逃げていた綱吉だったが、窓が大きく震え、窓の外では煙が立ち昇り始めたことで逃げられなくなる。
窓の外から怒号と爆発と剣戟の音が綱吉の耳へと届く。館内が静かなことから、襲撃ではなく、いつもの守護者内での喧嘩だろう。いつもいつも内々で揉められても困るのだが。
「はあ……」
ため息を一つ零して、再び書類の束の仕分けへと挑む。普段であれば、優秀な右腕が書類を優先順位に沿って仕分けし、どうしても綱吉が決済しなければならない物のみ綱吉の元へ回ってくる。しかし、その優秀な右腕はあの爆音の中心にいる。
中学生の頃に出会い、憧れた十年後の自分たちよりも年上になったというのに、相も変わらずしょうもない事で揉めては喧嘩している。あの頃、憧れた彼らにもこういった一面があったのだろうか。
コンコンと執務室の扉がノックされる。綱吉が許可を出そうとしたころには、扉が開いていた。
黒いボルサリーノをかぶり、特徴的なくるりと巻いたもみあげの少年が立っている。
「ちゃおっス」
「リボーン!」
綱吉は久しぶりに会えた恩師の名を嬉し気に呼んだ。
アルコバレーノの呪いの解けたリボーンは経過する年月に合わせて、成長するようになった。当時は二歳だった赤ん坊も大きく立派になり、綱吉の背を追い抜くほどだ。
リボーンは綱吉の机の上の書類の束を目にすると、にやりとニヒルに笑って言う。
「書類を溜め込むなんて、まだまだだな。ダメツナ」
「普段なら獄寺君が仕分けして、俺の決済を減らしてくれるんだけどね……」
「ファミリー内のことは全部ボスのせいだゾ。死ぬ気で止めてこい」
綱吉は遠回しに自分のせいではないと否定したが、リボーンに丸め込まれ、銃口を突き付けられた。
「この歳にもなってパンイチはやめろよ!!」
慌てた綱吉は椅子から立ち上がり、射線を遮るために書類机の陰に隠れた。
「チッ……」
「隙あらば俺を露出狂にしようとするな!」
舌打ちをして銃をしまうリボーンに綱吉の抗議が飛ぶ。
「まあいい。俺からツナへ直々のお願いがあるんだ。泣いて喜べ」
「リボーンからの頼み事なんて、ロクなものじゃないよ……」
嬉々とするリボーンとは反対に綱吉はしおしおと項垂れていく。そんなことを言いながらも、綱吉はリボーンの話を聞こうと椅子に座り直した。
「西国の情報部直々の依頼だ」
そう言ってリボーンは封筒に入った資料を渡す。
「東国へ潜入している《黄昏》のサポートとして、娘の家庭教師を頼みたいとのことだ」
「家庭教師!?」
綱吉は資料に目を通しながら、驚いた声をあげた。
「それこそ、お前にピッタリの依頼じゃないか」
資料をめくりながら、綱吉は言う。
「六歳の娘の家庭教師だ。俺が行ったんじゃ泣かせちまうからな。それに、六歳児の勉強ならツナでも教えられるだろ?」
「息をするように俺をディスるな!」
綱吉とリボーンの付き合いも長く、打てば響くようにポンポンと掛け合いが続く。
「万年ダメツナだった俺よりも、西国の諜報部にもっと適任な人はいなかったの?」
綱吉の疑問は最もだった。お世辞にも成績が良いとは言えず、ハッキリ言えばドベから数えた方が早かった学生時代だ。六歳児の勉強を教えられないとは言わないが、もっと向いた人がいるはずだ。
「東国では密告がブームらしいぞ。諜報部員が軒並みやられたらしい」
そう言ってリボーンは追加の資料を綱吉に寄越す。それらは数枚の写真だった。
「エレナは銃殺、マクシミリアンは溺死で海に浮いてるのが見つかり、フェリーチェは気がついたら骨で見つかった」
写真にはそれぞれの最期の姿が写っている。わざわざ写真を見せてくるあたり、性格が悪い。
「西の諜報部は人手不足だ。重要任務についている《黄昏》にも通常任務が振られる程だゾ」
「それで俺が選ばれたわけ……?」
「ああ。自力で脱出できるだけの力を持ち、何だかんだとお前は面倒見がいいからな」
リボーンはニヤリと笑って言った。直接口にはしないものの、綱吉ならば出来ると信頼しているからこそ、頼んでいる。
「西国の依頼で東国に潜入するんだろ? そんな危険なこと、獄寺くんが良いって言わないと思うんだけど」
断る材料を探して綱吉が言えば、リボーンは一瞬だけキョトンとした顔を綱吉に見せた。
「だから、アイツには外にいてもらってるだろ?」
「あの喧嘩、お前のせいかよ!!」
綱吉のキレッキレのツッコミが冴える。
「俺がお前に断る理由を残してると思うのか?」
「そうだな。お前は昔から決めたことは無理矢理にでもやらせるんだ」
綱吉はツッコミで荒ぶった呼吸を、深呼吸ひとつで整えた。色々と思うところはあれど、この恩師にとって綱吉が家庭教師をするというのは決定事項だ。ならば、反抗を続けたところであまり意味は無い。
「わかったよ。引き受ける。いつから東国へ行けばいいの?」
諦めたように綱吉は言った。
「今から行くぞ」
「今から!?」
事も無げに言って見せたリボーンに綱吉は驚きの声をあげる。
中々動き出さない綱吉に痺れを切らしたリボーンは、綱吉の腕を引っ張り部屋を出ていく。抜け出そうともがく綱吉だったが、リボーンが赤ん坊の頃ですら、力で勝てなかった。抜け出せる訳もない。
この日、沢田綱吉――ボンゴレファミリー十代目は東国へと出国した。

諜報員《黄昏》は表の顔である精神科医の仕事の合間を縫って、喫茶店を訪れていた。
諜報員、精神科医、父親。二足も三足も草鞋を履く彼の日々はとても忙しい。忙しい日々に忙殺されかねない状況を考慮した西国の諜報部は隣国に家庭教師を要請した。
西国諜報部の内情をある程度知っており、何かあった際は自分の身を守ることのできる力を持つ家庭教師。そんな奇跡的な人物が見つかったのだ。
《黄昏》――ロイドに渡された資料にはハニーブラウンの髪の幼い少年が写っている。
詳しい経歴は一切不明だったが、写真を見る限りはおとなしそうな子供に見えた。こんな子供までもが、裏の世界で生きていることにロイドは胸を痛める。
家庭教師を雇うことになったから、顔合わせのために指定の喫茶店へ行けと諜報部から言われるがまま、ロイドは足を運んだ。
少々混雑している店内で、少年はコーヒーカップを傾けている。実際に目にすると、写真で見た印象よりも大人びて見えた。
「きみがツナヨシ・サワダくんだね?」
「ロイド・フォージャーさんですね。よろしくお願いします」
ロイドの差し出した手を、ツナヨシは穏やかに微笑みながら握り返した。
あまりにも裏社会と似つかわしくないツナヨシの雰囲気に、ロイドは一つのテストをしてみることにした。
口の動きと実際の発生を分けて会話を投げかける。
「今日も天気が良いな。テラス席も気持ちよかっただろうな」
ツナヨシは少しだけキョトンとした表情を見せたが、すぐさま人好きのする笑顔で返事をした。
「ええ、ここに来るまでの間の散歩も気持ちが良かったですよ」
と口にしながらも、口の動きは全く別だった。
『これで合格ですか?』
と動いた。
先程、ロイドが口の動きで伝えた言葉はこうだった。——君がこちら側の人間なのかどうか試させて欲しい。
幼い顔立ちで判断するのは早かったようだ。すぐさま気づき、実行できるとは素晴らしい。
『家庭教師に幼い少年がくるとは思ってもいなかったので、試すようなことをして悪かった』
『よく言われますよ。俺これでも三十手前なんですけど』
穏やかに談笑しているように装っていた二人だったが、一瞬だけ会話が途切れる。
幼く学校に通っていてもおかしくなさそうなツナヨシが、ロイドとさほど年齢に変わりがなかったのだ。驚いたロイドがその事実に会話を途切れさせた。
『失礼。少々驚いた』
『構いませんよ。慣れてますから』
ツナヨシは自身の顔が大層幼く見えることに慣れていた。幼く見えがちな東洋人の中でもさらに幼く見える。ひとつひとつ訂正することは面倒だったが、この童顔が有利に働いたこともある。
『早速だが仕事の話をしよう』
仕切り直そうとカップに口をつけるロイドに倣って、ツナヨシもコーヒーを口に運ぶ。
『資料には君のことが殆ど書かれていなかったが、信用しても?』
『裏社会に関わるようになって、十年は越えてますし、最低限自分の身と生徒の身は守れます。殺し屋リボーンの紹介だと言えば信じてもらえますか?』
オペレーション〈梟〉。東国と西国の薄氷の上の平和を継続させるための任務だ。その要である子供の教育と護衛が今回のツナヨシの主なミッションだ。
殺し屋リボーンのことはロイドの耳にも届いている。穏健派と名高く、自警団としての側面が強いボンゴレファミリーお抱えの殺し屋だ。殺し屋として優れているだけではなく、家庭教師としても有能と聞いている。そんな彼の紹介だ。強さも教師としての能力も問題ないだろう。
経歴が一切不明というのがロイドは気になったが、管理官は知っているようであったし、ロイドには敢えて伏せられている可能性が高い。調べるなとも言われていないため、フランキーに確認しよう。
『あのリボーンからの紹介なら信頼できる。こちらこそ、よろしく頼みたい』
ツナヨシを信頼することに決めたロイドは握手を求め、ツナヨシもそれに応えた。
そうして、仕事の話を詰めていった結果、ツナヨシはイーデン校に通う学生で、奉仕活動の一環として下級生の勉学を見ている。ということになった。
歳は二十を越えて三十にも手が届きそうだというのに、未だに十も下の学生を演じることになるとは、ツナヨシもさすがに思わなかった。
様子を見るために離れた席に座っている世界最恐の元家庭教師様はニヤニヤとエスプレッソを飲んでいる。状況を面白がって笑っている。
パクパクと動いたリボーンの口元を読めば、『がんばれアラサー』と動いた。
完全に他人事で喜ぶリボーンにツナヨシはそっと頭を抱えた。