一哉は帰宅してすぐに、工房である地下室へとストラテジストを伴って向かった。 そこは日の光も差さず薄暗い。定期的に掃除はしているが追い付いていないのか埃っぽく、一哉とてこの場は好んでいない。
両親が傾倒した魔術に対する誇りもなく、増してやその両親が消えた場所であるならば足も遠のこう。
壁一面本棚と化した工房で、二人は手分けして歴史書を探す。もしくは蒼井家の家系図。ストラテジストの読みが正しければ、求めているものはそこにある。
「ストラテジスト!多分これだ」
「見せてくれ」
本の山に埋もれながら、一哉は声を上げた。ストラテジストも読めるよう、傍によった。
「時の王は偉大なる竜神様の力を恐れ再び封印。我らが偉大なる竜神様----は長く眠ることになった。」
一哉にはその竜神様の名前が読めなかったが、隣のストラテジストは険しい顔をして、その文面を睨んでいる。
「そうか、この世界で俺は封印することを選んだのか、俺は死ねなかったんだな……」
ぽつり。か細い声で呟いたかと思えば、その顔を右手で覆い隠してしまった。その顔色は窺えないが、いつもにない気弱な声に一哉の不安は煽られる。
「ストラテジスト……?」
「心配させたか。悪いな……お前の両親が研究してた書物とか残っているか?」
「あぁ。捨ててはないはずだ」
一哉は大きな書き物机へと移動した。そこにはフラスコやビーカーなどの実験器具と分厚い書物、そして手記が残されていた。
両親が消えてから、久しぶりに開けるそれは多少の劣化はあるものの、まだ読めた。当時はさっぱりわからなかった魔術式もこの数年の研鑽によって多少理解できるようになっている。 読み解いていけば、その手記には封印術と降霊術について書かれていた。
「もしかしてなんだけど、俺の親はさっきの竜神様?の封印を解いて、降霊術で降ろそうとしていた、とか?」
「マスター、大正解だ」
力ない声でストラテジストは語る。
「この当時、ややこしいことがあってな。大体の事情は省くが、この竜神は邪神と呼ばれていて、世界を絶望で染め上げようとしていたんだ。俺の生前の世界では、この邪竜を殺すことに成功した。だから器の証も意味がなくなり、存在しなくなった。だが、この世界では違う!邪竜を殺すことを選択せず、封印することを選んだ。よって、証の意味はあり、その痕が存在している」
「つまり、邪竜は今も封印されていて、復活の機会を探っているのか」
「正解だ。花丸でもやろうか?」
「茶化すなストラテジスト。俺の両親は、何をしようとしていたんだ……」
「邪竜を神と崇め、その復活をしようとしていたんだろうな。たぶんその研究の過程で失敗し消えた」
「どうして、そんな邪竜を信仰していたんだろう」
「そりゃあ、俺の生前の話だが、国一つ上げて信仰されるよな竜だ。終わりは始まりでもある。終わりをもたらす邪竜が始まりのシンボルでもおかしくはない」
「その邪竜、いつ復活するんだ?」
一哉の問いにストラテジストは手記をめくり、力なく首を振った。
「さすがにそこまでは書かれていない。生前の世界線でも何千年と先の話だと聞いた」
「もしも、もしもの話なんだが、この戦争中にその邪竜が復活したとして、ストラテジストは手伝ってくれるか?」
この現代社会と逆行して生きる魔術師の一哉でも、この世界がそんな風に滅ぼされていいとは思えなかった。関係のない平和を謳歌する一般人が犠牲となることを良しとはできなかったのだ。
「もちろんだとも。脈々と続いているこの世界を終わらせたくはないさ」
ストラテジストは一哉の質問に力強く答えた。この世界を終わらせたくない気持ちは同じだった。この世界ではできなかったことを、あの時と同じことをすればいいだけなのだ。
*
僕は帰れないだろう。優しい父さんと母さん、そして大事な人だっていたのに。
僕はあの世界に帰ることが出来ない。
主君を見捨てて逃げるなんてこと、優しい父さんなら許してくれただろうけど、騎士の息子として僕が僕を許せなかった。独りで死なせたくなんてなかった。
そういえば、これ、僕にはもう要らないものになってしまった。剣に括りつけていたお守りがわりの水晶玉を外した。
「これを、彼に渡してくれないかな」
水晶玉を近くにいた騎士見習いの新人兵に渡して下がらせた。
あの世でお義父さんに会ったら怒られるかな。俺の娘を悲しませない、幸せにするって言ってたよな!!なぁ!!親より先に死ぬやつがあるか!!なんて、詰められたして。
でも、きっと最後には「よく頑張ったな」って褒めてくれるんだ。
*
夜。一哉とストラテジストは街に繰り出した。
あの後、簡単に作戦会議をし、今日は街の巡回を手分けし、バーサーカーの情報を集めることとなった。俺の担当は市街地だ。 夜半だというのに街はまだまだ明るく、人通りも多い。見上げたビルの窓にはまだ明かりがついている。
「さすがにこんな街中で魔術を行使するやつなんているのかな」
「まあ、いないだろうが、視野を狭めるのはよろしくない。可能性が一つでもある限り捨ててはいけない」
現代の街が気になると言って、今晩のストラテジストは現代服に身を包み、実体化している。
金銭は一哉持ちだったが、選んだのはストラテジストだ。細身のスキニーデニムとジャケット、首元のストールががアクセントとなっている。スタイルがいい人は何を着ても似合う。
「どうしたんだ?」
「いや、知り合いに似ている気がして」
足を止めたストラテジストに合わせて、その視線の先を見れば、ストラテジストに少し似たイケメンがナンパをしていた。
どうにもいい雰囲気で、このままお茶にでも行きそうだ。 ストラテジストはぐんぐんとそのナンパ現場に歩いていき、その間に割って入った。イケメンの手首を鷲掴んだ。なにやってんだストラテジストは。
「げ……!」
俺にも聞こえるくらい露骨に嫌な声を出したイケメンは抜け出そうとしているがストラテジストの右手はピクリとも動かない。
仕舞いに、ストラテジストはイケメンの腰を抱き寄せ、俺たち恋仲なんですアピールをして女性を下がらせた。本当になにやってんだストラテジストは。
そしてそのまま、流れるように口論へ発展。正直、あの中に入っていく勇気も自信もない。
目の前の光景に嫌気がさして、見上げた空には一匹の竜。くるり、くるりと街の上を飛んでいる。ん?竜?
「なあ、ストラテジスト、上に竜が……」
「竜??」
俺の声と竜に気を取られたストラテジストの隙をつき、イケメンはその手を振りほどいて、逃げた。それはもう、すごい勢いで。
その身にはエーテルを纏い始め、瞬きの瞬間には服装が変わっていた。現代服のそれから、口布を巻いた忍装束のそれへと。
「待てや!!ごらあ!!」
「ぎゃーーーー!!」
ストラテジストもまた、ストールを巻いた軽装鎧で追いかけていく。まるで鬼のようだ。
怒号と悲鳴を置き去りにして二人は街を駆けていく。 いくら派手さに欠ける宝具でも街中で展開なんて、冷静さを失ってるとしか言えない。 冷静さを欠いたストラテジストを俺は隠匿の魔術で身を隠し、強化した足で追いかけるしかなかった。
*
追いついた先は街の外れからその全貌を見渡せる高台公園で、月と風車が俺たちを見下ろしている。
ストラテジストはイケメンを押し倒し、マウントを取った。花畑は無残にも踏みつけられていた。 この状態に持ち込むまでに相当もみ合ったのか、二人揃って肩で息をしている。
「あいつを悲しませない、幸せにするって言ってたよなあ!!」
ストラテジストは相手の胸ぐらを両手で掴んで締め上げた。
「何勝手に、死んでやがんだ!あいつは、あいつは、お前と一緒になりたいんだと幸せそうな顔で報告してきたぞ!!お前はそれを!それを!!」
「人違い、ですよ」
ストラテジストの凄まじい剣幕とは対照的に、彼は凍りついたような冷めた顔で返した。
「人違い、です」
淡々と返す彼の言葉はストラテジストに油を注ぐだけだった。
「俺は軽薄そうで軟派なやつ、お前以外にいるとは思えないんだがな」
「それでも、人違いですよ。きっと」
ストラテジストは右手を離し、その手を拳へと変えた。
蚊帳の外の俺から見て、ストラテジストに馬乗りになられている彼は、殴られたがっているように見えた。罰してほしいと思っているような。
彼は諦めたように、目を閉じた。
その行動がストラテジストの雰囲気をガラリと変えた。禍々しいオーラのようなものを纏い始め、それは背中でゆっくりと蝙蝠の羽のようなものに姿を変える。ついには尾っぽのようなものまで形成し始める。
オーラを纏ったストラテジストはまるで、竜のようで…… 彼をギロリと睨む瞳は澄んだ青ではなく、どす黒い夕焼けに変わっていた。それは、きっと破滅と絶望の色。
気が付けば魔力が凄まじい勢いでストラテジストに供給されていく。立っているだけの力もなく、ストンと腰から落ちた。 このままではストラテジストは暴走する。
どうすればいい。どうすれば…… 右手の令呪の存在を思い出した。生まれた時からある痕に絡まるように現れた令呪。これを使えば止められるかもしれない。
「令呪を持って命じる!ストラテジスト、暴走をやめろ!!」
令呪は開放され、魔力となってストラテジストに絡みつくが、その暴走を止められるほどの力ではなかった。一哉の力だけでは止まらない。
「僕はサーヴァント、アサシン。二度と蒼穹で咲けぬ花。いいんですか?アサシンとこんなに距離が近くて」
彼ーーアサシンのささやくような声にストラテジストは飛びのいた。
一哉の令呪はアサシンから距離を取るだけの冷静さは与えられていたようだ。 ストラテジストはゆっくりと元の冷静さを取り戻し、禍々しいオーラはなりを潜め、瞳もその青さを取り戻した。だが、暴走の反動か、どこか呆けている。
「サーヴァント、アサシン……?」
「ええ、僕はアサシンですよ」
暴走化にあったからか、アサシンの名を確認するストラテジスト。ちょっと試案する顔をしてから、街中の時と同じようにアサシンの腕を鷲掴んだ
「ちょっと面貸せよ」
にやりと口の端をつり上げて笑った顔は明らかに救国の英霊にあるまじきそれで。対象は一哉ではないというのに、思わずぞくりと背筋が凍る。
その日、二回目となるアサシンの悲鳴がこだました。