貴方とワルツを

「籠の中の」に収録した話のひとつです。
サンプルとして支部にも全文アップしてるので、こちらにも。


 

季節は星辰の節。秋も過ぎ、冬が深まりゆく季節だ。
教室のそばの中庭では生徒たちが思い思いに休憩している。鈍く重い空は日の光を届けてくれず、雪でも降りそうな気配があった。
夏は暑くて嫌いだが、雪の降るような冬も好きにはなれなかった。真冬の井戸の水は突き刺さるように痛かった。信じていたはずの兄に突き落とされたショックから泣くことも、叫ぶことも忘れてしまっていた。あの冬を思い出してしまう。
「シルヴァン、魔法の習得進度は順調か?」
担任のべレト先生が変わらずの無表情でこちらに歩いてきた。片手にはいつもの手帳がある。生徒達の進捗を確認して回っているのだろう。熱心な先生だ。そんなところが彼が多くの生徒に慕われる原因なのだろう。
「先日、アローを使えるようになったところですよ」
アローは風を操る魔法の一種だ。炎の方が幾分か得意ではあるもの、どうにか扱えるようにはなった。
彼はふむふむと頷きつつ、手元の手帳に書きつけている。
「それよりも今は舞踏会ですよ。対抗戦の白鷲杯もあるんですよね?」
先生は走らせていた筆をピタリと止めた。心なしか焦っているようにも見られた。いつもの無表情なので気のせいかもしれない。
「で、先生。俺たちの学級からはどいつを出すんです?」
深緑の瞳がこちらをじっと捉えた。
「頼めないだろうか?」
「え、俺?」
思わず聞き返してしまった。先程と変わらない新緑の瞳がこちらを捉えている。
「はあ、まあ、別にいいですけど。女の子にいいとこ見せる機会だしな」
先生は俺の言葉に少しだけ口角を上げ、雰囲気を和らげた。表情の乏しい男だが、よくよく観察していればその違いにも気がつけるようになった。
「じゃあ、練習しよう」
「え!? 今からですか?」
先生が真顔で言うものだから驚いて聞き返す。何か問題でもあるのか?とでも言いたげにこちらを見つめるばかりだ。俺に予定があるとか考えないのだろうか。実際に予定は無いので問題もないのだが。
「構いませんけど……」
先生は手帳を仕舞うと両手を胸の位置で広げた。どうやら手拍子で拍を取ってくれるらしい。
彼の前で舞踏の構えをとる。左手を上げる。右手は女性の肩に手を添えるように胸元に。
「一、二、三、一、二、三……」
たんたんたん。たんたんたん。
まずは基本的なステップを。
先生の手拍子に合わせて右足を出す。次に左足を滑らせるように出し、方向を変える。三歩目は左足に添えるように置く。回りながら円を描くようにステップを踏む。以前習ったっきりで修道院に来てからは踊ったことがなかったが、それなりに覚えているもんだ。足を縺れさせることもない。
「きれいだな……」
「!?」
手拍子を打つ先生の瞳がゆるりと上気する。端から見ている俺でもわかるほどに彼は喜んでいる。深緑の瞳が揺らぎ、輝いている。熱のこもった視線が刺さる。
「男にそんな熱心に見られても嬉しくないですよ」
彼は俺の言葉を聞いて、はたと正気に返ったようにいつもの無表情に戻ってしまった。
「いや、その、シルヴァンがあまりにもきれいに踊るものだから、頼んでよかったなと」
彼の言葉にじわりと暖かくなる。今は真冬の屋外だというのに。
踊りの足を止めれば、額にじわりと汗が滲む。
「先生って踊れるんですか?」
「踊りとは無縁の傭兵業だったからな」
まあ、予想通りの答えではある。
「あんた顔はいいんだし、踊れるようになっておいて損はないと思いますよ」
少なくとも大司教に目を付けられている以上、政治に引っ張られるのは明らかだ。それに何より、生徒の誰かが彼を誘うだろう。別の寮からの変寮希望の生徒もいたという。彼がそれを断っている場面に遭遇したこともある。
「そういうことなら少しだけ、基本的なものだけでいいから教えてくれないか?」
「俺の方がでかいですし、練習になるかどうかわかりませんよ?」
「構わない。俺がシルヴァンと踊りたいんだ」
「そんな言葉どこで知るんですか……」
「メルセデスの貸してくれた本で」
「生徒にそんなこと言っちゃダメですよ。勘違いするやつがでますから。特に女生徒には」
「気をつけよう」
わかったのかわかっていないのか。気の抜けたような返事だった。
「では、左手を上げてください」
上げられた先生の左手に右手を重ねる。ゆっくりと優しく握れば、緩やかに返された。
「右手を相手の肩甲骨へ添えるようにしっかりと支えてください」
先生が右手を添えたのを確認してからもたれるように上体を反らす。
「それが基本の姿勢です」
先生は興味深げに自身の左手と俺の肩口を見比べている。
「ステップは知ってます?」
「さっきシルヴァンが踊っていたものなら少しだけ覚えた」
上々である。
「好きに踊ってみてください。合わせますよ」
こちらで拍をとれば、彼は足を踏み出した。先程、俺が見せていたステップの冒頭三種を綺麗に踊ってみせる。飲み込みは良い方だとは思っていたがここまでとは。素直に感心する。
涼やかな瞳を伏せられたまつ毛が縁どっている。普段と変わらぬ無表情だ。女生徒の中には彼に夢みている者も多い。いつもと変わらないように見えるが、重ね合わせた手から緊張が伝わる。化け物の様な強さと無表情に忘れがちだが、彼も人なのだ。はじめてのことに緊張だってする。
意識して口にする拍を遅くすれば、手の平から伝わる緊張が緩まる。しばらくすれば拍を口にしなくても息が合うようになった。
「俺がいつまでもこちらで踊っていればシルヴァンの練習にならないな」
先生は足をゆっくりと止めた。離れていく先生の左手を名残惜しげに握ろうとして踏みとどまった。その時になってようやっと自分が踊ることを楽しんでいたのだと気がついた。
「変わろう」
先生は俺が何か言うのを待たずに姿勢を解き、今度は右手を掲げた。
「あんたねぇ、絶対混乱しますって。やめた方がいい」
「大丈夫だ」
力強く見つめ返す先生に仕方なく付き合うことにする。なんだかんだ我の強い彼はきっと折れない。
左手を差し出せばそっと右手で握り返される。右手で肩甲骨のあたりを支えればしなだれるように上体を任された。
「では三数えた後にさっきのステップをお願いしますね」
先生が縦に首を振ったのを確認してから数え始める。
「一、二、三。一、二……」
ぐらり。先生の体躯が大きく傾いた。重ねた左手で引き上げようと力を込めたが遅く、先生は地面に倒れ込んでしまう。
「ほら、言ったでしょう?」
芝生に尻をついたままの先生に右手を差しだし、ぐっと勢いよく引き上げた。
先生が転けた原因は単純に女性側の踊りに変換できなかったことだ。男性側が踊れたからといって女性側が踊れるとは限らない。左足を踏み出すべきところで右足を引かなければならないのだから、転んで当然だ。
「シルヴァンは女性側を踊ったことあるのか?」
「いやさっき初めて踊りましたけど?」
「お前はもっと真面目に授業を受けろ」
責めるような目付きが鋭く刺さる。くどくどと長くなりそうなお小言に思わず明後日の方向へ視線を投げた。
空は未だに重い雲を敷き詰めている。